代表取締役 中西 政文

代表者略歴

1983年創立260年 福岡県立豊津高等学校(現育徳館高校)卒業
1985年早稲田大学 社会科学部入学
1989年25歳 学生時代に起業 不動産業開始
1990年早稲田大学 社会科学部卒業 地方人口3万2千人エリアへ不動産投資
570,000,000万円 当時の借入金利 7.4%~4.55%  収益平均利回り10.64%
1K 40戸マンション投資 年利回り23%達成経験あり
1992年社団法人 行橋青年会議所入会 行橋青年会議所 広域活動に伴い名称変更作業へ。名称変更特別委員に選出。
日本書紀に古来地元エリアは美夜古(みやこ)と呼ばれていたことを発見。「美夜古」の名称を提唱。
(社)日本青年会議所名称変更を承認。 美夜古(みやこ)青年会議所となる。
(社)美夜古青年会議所 役職略歴 理事 国際交流委員長 副理事長 監事

代表者プロフィール

文字通り裸一貫、苦労人の父親が事業で成功。比較的裕福な家庭で育つ。小学生のとき周囲のやっかみや妬みから、理不尽なひどいイジメにあう。後に、同級生の親達が父の成功をやっかみ妬んだのが原因と判明。親の影響が子供に伝わることを実感。


22歳の時、事業家の父親が病で他界。社会経験の乏しい私は、大学を卒業するか、大学を中退し事業の後を継ぐかの厳しい選択を迫られる。が、1年休学の後に卒業。その後、長男としてすべての責任を背負う。困った時に相談する人も無く、人生の大きな決断を何度も迫られる。 “何が分からない?かが分からない!”という苦しい状態が長く続く。 この状態が一番辛くきつく、明け方まで眠れないタフな時代。手探りで学び、転び、騙されつつも状況を突破!


20代は何が分からないかが分からない状態が長く続き、やらなくてもよい苦労を経験する。この事に気づくまでかなりの年数を要した。 もがきながら、カオス状態の中から、見えない糸を見つけては、一つ一つ解きほぐすことに心血を注ぐ。

20代後半~40代後半 青年会議所(JC)活動及び商工会議所青年部(YEG)活動を通じ、社会貢献と慈善活動に没頭する。

主な活動

1998年 

地方で米国ネットベンチャーとジョイントし専門誌に取上げられる。

青年会議所(JC)時代

1994年

世界青年会議所神戸大会にローカルJCとして初めてブース出展を企画し実行。
 “角打ち”文化の背景を“ふんどし”に英語で印刷したオリジナルノベルティーを企画開発。
三和酒類株式会社様を訪問して協賛依頼。大変ご協力頂き「いいちこ」ミニボトル数百本の協賛をして頂く。
オリジナルの“ふんどし”ノベルティーと「いいちこ」ミニボトルは、海外JCメンバーからは大変喜ばれ人気を博し、ブース出展開始後40分足らずで全て無くなる。

1995年1月15日 

阪神淡路大震災により、神戸の地が大きく被災。一早く先遣ボランティア隊をJC内で提唱して結成にこぎ着ける。九州エリアで一番早いJCボランティア部隊として神戸へ現地入り。始発電車で山陰ローカル線経由。13時間立ちっぱなし状態で神戸被災地へ。

高速道路の橋脚がバタバタと目の前に倒れている状況に絶句。12階建てのマンションがダルマ落としのように3階の高さになっている状況に呆然と立ち尽くす。


ボランティア活動では睡眠2~3時間。復興事業で建物解体が始まり、顔を覆うほどの砂ぼこりが舞う中、行列をなした6,000名以上の被災者の方々に全国から寄せられた支援物資配布へ。今のようにボランティア活動が盛んでなく、数十名の人数で約6,000名方々に対応。あまりの多忙に休憩のみならず、トイレに行く暇も無かった。

全国から送られた支援物資の中に同封されている手紙を集めては、行政に手渡す。手紙の中の熱いメッセージ。また、砂ほこりまみれの被災者の「ありがとう!」という言葉。それらに何度も目頭が熱くなった事は、いまだに鮮明な記憶として残る。

もっと世界を知ろうと思い、世界青年会議所第15回国際アカデミーに参加。

世界中から集まった次世代の国を担うリーダー達と1週間の合宿を行う。
同室メンバーは40時間かけて来日した南米ボリビアの若きリーダー。大変貴重な経験となる。

2002年日本青年会議所コンサルティング25代部会長時代。

宇宙物理学者 NASA客員研究員の佐治晴夫先生を招き講演会実施。スピルバーグ監督の映画を監修された佐治先生の壮大な宇宙の物語り、探査船ボイジャーの打上げ話に感銘を受ける。地球の音、月の音、太陽の音を生まれて初めて聴かされ感動!

先生愛車のポルシェ911カレラ4の中で、ビデオデッキVHS開発とベータの激しい競争の秘話にはビックリ!ドラマが出来るようなストーリー。

2004年~青年部(YEG)活動時代

商工会議所会頭在職期間日本1の三原会頭に薫陶を受ける。

青年部総会では、首長・議長をはじめ、日産自動車九州工場・トヨタ九州苅田工場・日立金属・三菱マテリアル・宇部興産・麻生セメント・九州電力の工場・所長が来賓としてご臨席。毎年行われる異業種大手7社の工場長・所長参加の懇親会は貴重な経験。

観光のあり方を学ぶため、日本商工会議所篠原常務、JR東海須田相談役を講師に招いての勉強会実施。


名知事として名高い全国知事会会長の麻生渡福岡県知事公邸を三原会頭のお力添えで青年部メンバーと共にご訪問。 知事の講話を聴きつつ、ご一緒に杯を酌み交わしながらの会食は、青年部メンバー大変貴重な経験となる。 政治家、事業家お二人の場の強いエネルギーを実感。


町の将来を考え、町内で初めて観光業の重要性を提唱!

企業城下町である地元の特性活かすべく、産業観光のあり方を調査研究。

調査研究段階で、日産自動車の起源は、北九州市戸畑区と判明。創業者鮎川義介氏が渡米時メモをした手書きの手帳が保管されている貴重な資料館を町内で発見。日本のものづくりの素晴らしさを実感。

2012年 苅田みなと祭り大会実行委員長に就任。

警察より実施不可能と言われ、行政も諦めた花火大会。何度も挫折しそうになりながら、メンバーの力と助けを借り奇跡的に復活させる!


日本経済新聞社様のご協力により、“「記憶」2011.3.11 PM2:46 忘れてはいけないこと”の写真データの無償供与を頂き、東日本大震災「記憶」の写真パネル展開催。

その後の花火大会では、“がんばろう日本”のスローガンのもと、花火業界で話題になる初の大型1尺玉(10号)60連発打ち上げる。町内人口(3万4千人)の約半分に相当する観客を動員。周辺観客動員含めると3万人以上。実施までに、とてつもない警備体制の重要性と必要性を経験。

東日本大震災の震災孤児支援チャリティー募金開始。あしなが育英会へ寄付。
その後、苅田町観光協会が設立される。

現在

苅田商工会議所 議員
苅田町社会福祉協議会 評議員
苅田ライオンズクラブ会員
行橋経済同友会会員

趣味: 読書 東洋思想・哲学の学習 旅行 映画 まちづくりボランティア マリンスポーツ